スタートトゥデイ
何かを始める日というのは一生記憶に残るものです。
私は小学校に入学したときに聞かされた校長の話を覚えています。「みなさんはなぜ生まれてきたと思いますか?それは幸せになるためです。どうすればお友達と幸せに過ごせるか思いやりを持ちましょう」という内容でした。私はやや捻くれた子どもでしたから、なんだ生まれてきた理由が知れると期待してみれば、そんなことか。全く生まれてきた理由になってない。なぜ生まれてこないといけなかったのか教えてくれよと思ったことを覚えています。
今にして思えば、この校長の話はそれほど間違っていないかもしれません。だた一点幸せを喜びに直させてもらいたい。なぜなら、幸せというのは、辛いことや心配がない状態のことで、退屈なもので胎児のような状態に私は思うからです。要するに、喜びのある日常よりも大事なものなんて何もない。これを忘れてしまって憂な日常を放置してしまいがちなのではないでしょうか。また、非日常的大きな出来事があってパニックに陥ってしまうこともしばしばです。
喜びとは非常に主観的なもので自分や相手にとってのそれは自明ではなく、それについて考え、動き続ける習慣が必要で、このことは面倒なことです。私もそういう怠惰な存在です。放っておいたら怠けてしまうから、習慣にして無理なく続けられるようにしないといけない。手入れしないものはなんでも壊れてしまう。だから、毎日初心を思い出すべきなのでしょう。
世の中、鬱陶しいニュースばかりです。テクノロジーは世界を悪くしている。人間は劣化している。頼れる存在であるはずの国だって明るい未来なんて望めない。そんな文句ばかり垂れていることに気付きました。いつから外部を変えること、内部が変わることを諦めるようになってしまったのか。
人間の想像できるものなんて全て実現可能と思っていた子どもの頃のように、足掻き尽くさなくてはいけないのかもしれない。今日より明日が良くなると信じて、昨日より今日が進歩してゆく喜びと、生活に必要なものが足りていれば、それで生きてゆける。最近そう思い始めました。
人間の知性がテクノロジーを産み出し、テクノロジーが知性も含めたあらゆる身体を拡張し、次世代にミームを遺す。この歩みを信じたい。もちろんテクノロジーは全て善なわけもなく、常に自己批判的でなければならないし、実力が足りずしょうもないヘマもするかもしれません。けれども、いつか進歩させる日を夢見て、なんでもない日でも、記憶に残るスタートデイだと思い一番大切なことを思い返すようにしたい。
社会人としてのスタートデイである今日は記憶に残る日になるでしょうが、明日からも記憶に残る喜びの日々を過ごしたい。毎日がスタートデイと思って精進します。
進歩を想像し、創造する力が全てを変えると信じて。